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特別寄稿&インタビュー

発売記念

特別寄稿3

『大将』という呼び名

 故・加藤廣志監督は教え子たちから『大将』と呼ばれた。いや、実際に指導した選手でなくとも、能代工に在籍した者は誰もが今も『大将』と呼ぶ。しかし、なぜ『大将』なのか? これまで多くのOBに聞いてみたが、そのたびに返ってくるのは「由来ですか? なんだろう。バスケ部に入ったときから大将はもう大将だったから」という答え。呼び名の謎は謎のまま年月が流れた。

 その謎がようやく解けたのは、本書の取材で佐藤重美さんにお話を伺う機会があったからだ。佐藤さんは昭和35年(加藤先生が能代工の監督に就任した翌年)に入学した古いOBだが、そのときはすでに『大将』の呼び名は定着していたという。

「加藤先生が能代工に赴任してすぐについた呼び名だと聞きました。命名した先輩によると『お山の大将』の意味だったみたいです」

 ん? ちょっと待て。大将は大将でも『お山の大将』はあまり良い大将ではない。辞書には「狭い範囲の中で自分が一番だと得意になったり、威張ったりしている人のこと」とある。当時の加藤監督は選手たちからそんな風に思われていたのか? それって、今風に言えば“ディスられてる”ってことだよね。驚く私の目の前で「そうそう、そうみたいです」と佐藤さんは笑う。

「考えてみたら加藤先生が能代工に赴任したのは22歳のとき。バスケット部の3年生は18歳だから、歳はいくらも離れていないんですよね。だけど、加藤先生はこうと決めたら何が何でも突き進む人ですから、自分がやることに一切文句は言わせません。新しくやってきた若い監督のそういう姿が“お山の大将”に見えたのかもしれませんね」

 なるほど。そう言えば当の加藤監督から「チームを強くしたい一心で周りが見えていない時期があった」という言葉を聞いたことがある。「とにかく勝ちにこだわって、いかにしたら勝てるかだけを考えていた」と。後に『名将』と呼ばれる加藤監督にも当然のことながら若き日があった。人一倍の情熱と高い志を抱きながら、いや、抱いているからこそ周囲を置き去りにして突っ走ってしまう。22歳の新米監督にはそんな未熟さがあったということだろう。

 しかし、本書に書いた新潟遠征(昭和38年)のエピソードにもあるように経験は監督として、人として、加藤廣志を変えていく。練習は相変わらず厳しく、怒声が飛べば、手も飛び、足も飛び、最後は椅子まで飛んだと言われるが、初の二冠メンバーの三沢辰夫さん(昭和45年卒)はその当時「私は加藤先生を“鬼”だと思っていた」とコメントしている。が、大学生となり母校の練習を俯瞰できるようになったとき憎々しい鬼の正体に気づいた。自分が見ていた鬼は実は加藤先生が意識的に演じていたもの、私情を捨てあえて嫌われる鬼になっていたのだと。それは加藤監督が日頃から口にしていた「練習で私は鬼になる。選手たちがもっとも憎いと思う敵になる。ただし試合では誰よりも選手の味方になる。どんな場面であろうとも何が起ころうと絶対に選手の味方でいる」の言葉と重なるものだ。「加藤先生は練習では鬼より怖かったけど、試合で選手を怒鳴ったりすることはなかった。たとえミスしても一切怒らなかった」と言うのは小玉一人さん(昭和45年卒)。初の三冠メンバーの小野秀二さん(昭和50年卒)もまた「三冠を目指していた国体の本番直前に私が怪我をしてしまったとき、病院に向かう車の中で加藤先生は一刻も休まず痛めた足をさすり続けてくれた」と振り返る。それが鬼の仮面の下にあった大将の顔。

 忘れられないのは初めて能代工の取材に行ったとき、加藤監督から聞いた能代の寒い寒い冬の話だ。冬になると体育館には冷たい隙間風が吹き込んでくる。雪の日には天井からパラパラと雪が舞うこともある。早朝となれば凍えるような寒さだ。「でも、私が朝練をやると言えば選手たちはやってくる。学校から遠い場所に住む選手も朝一番の列車に乗って、途中で列車を乗り換えたりしてね、必ず時間どおりに体育館にやってくるんです」。どんなに早い時間を指定しても誰1人文句を言わない。そろって白い息を吐きながら体育館までの雪道を黙々と歩いて来る。

「そんな選手たちを見てね、なんて言うんでしょうか、いつも尊いなあと思うんですよ。私は尊い姿を見ているなあと思うんです。だから、私は冬の日は誰より先に体育館に行きました。まだ空気が凍っているような朝の体育館で生徒たちがやってくるのを待っていました。それが私にできるせめてものこと。いい言葉が見つかりませんけど、文句1つ言わず体育館にやってくる選手たちに私が示せる唯一の真心みたいなものでした」

 練習が始まれば、加藤監督はまた鬼になる。体育館には情け容赦ない怒声が響く。それはおそらく加藤監督が能代工にやってきた日から変わらない風景だったに違いない。しかし、確実に違っていたのは大将がもう『お山の大将』ではなかったこと。選手たちに寄り添い、ともに勝利を目指す『能代工の大将』だったことだ。

「あのとき大将がね」、「あの練習で大将がさ」。それぞれの3年間を語るかつての教え子たちは何度もその呼び名を口にする。「だから、あれは大将がね」、「そうそう大将だよ」。何十年経ってもごく自然に、ごくあたり前に、みんなが呼ぶ『大将』の名前はどこか温かく、その声には誇らしげな響きがある。

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松原 貴実 まつばら たかみ 
フリーライター。大学時代から『月刊バスケットボール』、『月刊バレーボール』に連載記事を執筆。取材は芸能、教育、福祉など多岐にわたり、「人」に焦点を当てた記事を数多く手掛ける。少子化問題に取り組んだwelcome baby作詞コンクールでは内閣総理大臣賞を受賞。